私学校跡(しがっこうあと)

私学校跡

明治6年(1873)10月、いわゆる征韓論に破れ、下野して鹿児島に帰って来た西郷隆盛は、一緒に官職を辞して帰郷した多数の青年のために、桐野利秋、篠原国幹、大山県令などと共に拠出金で私学校を設立した。

この鹿児島城の旧厩跡に建てられた私学校は、銃隊学校と砲術学校からなり、篠原国幹、村田新八が指導にあたった。本校の他に市内各方限や地方にも分校が設けられた。

明治9年(1876)末頃は県内のすべての郷内に設立され、青少年の多くが学んだという。

西南戦争では私学校周辺は激戦地となり、当時の弾痕跡が今も石塀に残っている。この石塀は、鹿児島城の厩の周壁として構築されたもので、築城とほぼ同じ頃であるとされる。また西南戦争の当時の面影をよく残している。

昭和43年(1968)、鹿児島県の記念物(史跡)に指定された。

所在地 鹿児島市城山町
出来事 年/150年後
備考 交通/県民交流センター前(裁判所前)バス停

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