トピックス

パリ万国博覧会への初参加(その1)

  • 明治維新と薩摩藩
  • 2017.09.22

(文:鹿児島市維新ふるさと館 特別顧問 福田賢治氏)

○「パリ万国博覧会」参加と「海外渡航禁止令」の解禁

パリでの万国博覧会は8回開かれているが、そのうち日本が初めて参加したのは、慶応3年(1867年)4月に開催された第2回のパリ万博であった。当時、日本はまだ海外渡航は禁止されていたため、開催前年の慶応2年4月7日、幕府は「海外渡航禁止令」を解き、日本人も海外渡航ができるようにした。
薩摩藩留学生がイギリスへ出発した慶応元年には、まだ海外への渡航は禁止されていたため、留学生は内密で串木野の羽島港からグラバーの船でイギリスへ渡ったのである。
海外渡航が解禁になった理由としては、幕府の公的海外使節団や薩摩藩英国留学生などのニュースが伝わり、使節団や留学生と交わった外国の人々は、誠実で礼儀正しく、熱心に学ぶ日本人に対し好印象を持ち、政・財界を問わず高い評価を得るなど、日本への関心が高まっていたことである。一方、日本国内においても、日本を脱出して西洋文化に学ぼうとする人が年々増えてきており、密航者も増加していた。こうした時期に、パリ万国博覧会への参加という事情も重なり、国内における海外熱も一段と高まったことから、幕府は海外渡航解禁へと踏み切ったのであった。

○日本の政情不安と英・仏の思惑

慶応3年というと、国内では10月に「大政奉還」、12月には「王政復古」の大号令が下り、翌年1月には「鳥羽伏見の戦い」が始まるというあわただしい年である。戊辰戦争の前年ということもあって、欧米諸国も幕府自体が存続するのか、それとも討幕がおこなわれるのかと、欧米諸国はその見極めに大変神経を使い、様々な憶測が飛び交った時期でもあった。
特に、イギリスとフランスの間では、日本における外交上の主導権をめぐって両国の駆け引きが目立ち、それぞれの国の駐日公使や大使館職員は、本国への報告や対日交渉に頭を悩ませていた。

○日本がパリ万国博覧会に参加することになったきっかけ

パリ万博への参加は、当時の日本駐在のフランス公使ロッシュが「日本の存在と権威を世界に知らしめるよい機会」と幕府に参加を勧めたことに始まる。幕府は大名や商人など国内に広く応募を呼び掛けたが、参加を申し出たのは、薩摩藩と佐賀藩、それに埼玉出身の江戸商人清水卯三郎だけであった。
幕府は幕府自体の出品も含め、これらを一つにまとめて日本として出品するつもりであったが、薩摩藩は幕府が出品を決定する前に、すでにフランス貴族のモンブランの勧めを受けて出品を決定しており、幕府とは別に薩摩藩独自で準備を進め、会場も幕府とは別の独立した区画を確保していた。

○薩摩にパリ万博参加を勧めたモンブランとは
モンブランは、フィリピンに旅行しているときペリーの日本来航を知り、日本に来て長崎に住んだ人である。文久元年(1861年)、日本人の斎藤健次郎を伴いパリへ帰国、「日本」と題した100ページ余りの本を出版、日本人の優秀さや、積極的に西洋文明を学ぼうとする精神を讃えるとともに、日本の明るい将来を展望するなど日本を高く評価したことから、西欧における「日本通」として有名になった人物である。ベルギーにも領地をもつほどの資産家でもあった。
モンブランは最初、幕府と親交があり、日本に滞在した経験を買われ幕府使節団の一員としてパリに同行したが、ナポレオン3世との謁見において、通訳の選定で手違いが生じ、幕府から疎外されたかたちになって幕府と離れた。以後、薩摩の使節団、新納久脩や五代友厚などと親交を深め、薩摩との間に「ベルギー商社設立」の仮契約も結んだ。これは後に破棄されるが、イギリスからフランスへ渡った留学生などの世話もしており、このモンブランが薩摩にパリ万博への参加を進めたのであった。
ただ、このモンブランについては、アメリカに渡った鮫島尚信や森有礼などは、このモンブランは信用できない人物として「ベルギー商社設立」には猛反対しており、大久保などに反対の意見書なども提出している。これは、フランスと利権を争っていたイギリス寄りの考えとも言われ、薩摩藩留学生を世話したオリファントやグラバーらの考えが、多分に留学生にも影響しているとの見方もある。

パリ万博で出品したものとは その②

  • 明治維新と薩摩藩
  • 2017.09.01

慶応3(1867)年のパリ万博へは、薩摩藩と徳川幕府、さらに佐賀藩も出品している。

薩摩藩は、上布や砂糖といった琉球産品や薩摩焼など480箱。幕府は武器・図画・漆器・書籍など約1014点。佐賀藩は伊万里の陶磁器を中心として506箱であったという。
薩摩藩の出品した薩摩焼は、苗代川の朝鮮陶工の朴正官の制作した錦手花瓶が特に賞賛されている。こうした薩摩焼は、英国のサウスケンジントン博物館が購入することになる。このような動きは、すぐに貿易などで実を結ぶことにはならなかったが、明治6(1873)年に開催されたウイーン万博では、12代沈寿官が出品した大花瓶が進歩賞を受賞し、さらに世界で賞賛されることになる。

このようにパリ万博は、世界に薩摩の文化を知ってもらうきっかけとなった。

明治維新150周年記念シンポジウムの開催(聴講者募集)

  • トピックス
  • 2017.09.01

平成30年に明治維新150周年という大きな節目の年を迎えるに当たり、「パリ万博における薩摩藩のPR戦略」をテーマにシンポジウムを開催します。

明治維新という時代の大きな変革期における郷土の先人たちの志や偉業を見直し、明治維新の意義を改めて考えてみませんか。

次のとおり、聴講者を募集しますので、ぜひご応募ください。

※鹿児島県との共催により開催します。
 鹿児島会場と北薩会場の2か所で開催されますが、ここでは鹿児島会場についてご案内します。

シンポジウムチラシ(PDF:2,956KB)

日時

平成29年9月30日(土曜日)13時00分~17時00分(開場12時00分)

会場

鹿児島市民文化ホール第2ホール(鹿児島市与次郎2丁目3-1)

定員

800人(定員になり次第,締め切ります)

テーマ

パリ万博における薩摩藩のPR戦略

内容

基調講演(1)

  講師:齊藤洋一(松戸市立戸定歴史館長)

  演題:「1867年パリ万博における幕府と薩摩藩の攻防」

基調講演(2)

  講師:寺本敬子(跡見学園女子大学文学部講師)

  演題:「フランスの史料から見た日本のパリ万博参加」

パネルディスカッション

【パネリスト】

  • 齊藤洋一(基調講演講師)
  • 寺本敬子(基調講演講師)
  • 原口泉(鹿児島県立図書館長,志學館大学人間関係学部教授,鹿児島大学名誉教授)
  • 藤生京子(佐賀県立佐賀城本丸歴史館学芸員)
  • 深港恭子(鹿児島県歴史資料センター黎明館主任学芸専門員)

【コーディネーター】

  • 吉満庄司(鹿児島県PR・観光戦略部かごしまPR課明治維新150周年推進室専門員)

申込方法等

以下のいずれかの方法によりお申し込みください。

(1)応募フォームから申し込み

鹿児島会場

  • パソコンからお申し込みの方はコチラ(外部サイトへリンク)
  • 携帯電話からお申し込みの方はコチラ(外部サイトへリンク)
  • スマートフォンからお申し込みの方はコチラ(外部サイトへリンク)

※鹿児島会場のほか、北薩会場(11月19日)の開催もあります。
※会場名を間違えないよう、ご注意ください。

(2)官製ハガキ・ファクス・メールでの申し込み

ご希望の会場名、申込者氏名、年齢、郵便番号、住所、電話番号、参加人数(複数の場合は、参加者全員の氏名・年齢)を記入の上、ハガキ・ファクス・メールのいずれかで、「明治維新150周年記念シンポジウム事務局」((株)舞研 内)までお申し込みください。

お問い合わせ・申し込み先

明治維新150周年記念シンポジウム事務局  ((株)舞研 内)
〒891-0115 鹿児島市東開町4-94
電話:099(267)8490
FAX:099(266)2601
メール:ishin150@buken.co.jp

電話によるお問い合わせについては、9時から17時までの受付となります。(土・日・祝日を除く)

 

おもてなし活動

  • 薩摩観光維新隊
  • 2017.09.23

_MGL8177

場所

西郷銅像前(鹿児島市山下町5-9 鹿児島市中央公民館前庭)

時間

9:00~13:00

その他

事情により、場所、時間等が変更になる場合があります。

おもてなし活動

  • 薩摩観光維新隊
  • 2017.09.22

_MGL8177

場所

西郷銅像前(鹿児島市山下町5-9 鹿児島市中央公民館前庭)

時間

9:00~13:00

その他

事情により、場所、時間等が変更になる場合があります。

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