トピックス

「西郷どん」出演者 ドラマ館来訪(12月16日)

  • 西郷どん
  • 2018.12.16

大河ドラマ「西郷どん」も16日でいよいよ最終回を迎えます。

そのなかで、大河ドラマ「西郷どん」の出演者が、大河ドラマ館を訪問します。

ドラマ館の入口付近で、ひと言ごあいさつもいただく予定ですので、皆さまもぜひ大河ドラマ館にお越しください!

【お詫び】イベント開催にあたり、13時50分頃から一時入館を休止させていただきます。

日時

平成30年12月16日(日曜日) 14時~14時25分(予定)

会場

西郷どん  大河ドラマ館(鹿児島市加治屋町20-1 鹿児島市立病院跡地)

ゲスト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

堀井新太さん(村田新八役)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

持永雄恵さん(辺見十郎太役・薩摩ことば指導)

お問い合わせ

西郷どん 大河ドラマ館

電話 099‐808-3153  (年中無休・9時~17時)

 

 

 

明治元年を忙しく過ごした小松帯刀

  • 明治維新と薩摩藩
  • 2018.12.10

明治新政府の樹立によって忙しさが増したのは、西郷や大久保ばかりではありません。薩摩藩の家老であった小松帯刀も、藩の仕事よりも新政府の仕事に尽力した年でした。まず、役職としては1月28日に参与兼外国事務掛を命じられます。これは外国との交渉などを行う役で、各国に交渉事などは徳川幕府に代わり、新政府が行うことを通告してからの対応となりました。

小松が外国事務掛に就任してすぐに、堺において土佐藩士がフランス水兵を殺害する事件が発生し、この事件の対応が最初の大仕事となりました。その他、長崎の浦上で発見されたキリスト教徒らの処置にも尽力しました。このように、様々な案件を抱える毎日でしたが、多忙も影響してか、体調不良も表面化してきます。

小松は、能力と人望に恵まれているだけに、明治に入ってますます忙しく生きることを強いられたのです。

渡邉蒼さんにご来館いただきました!

  • 大河ドラマ館
  • 2018.12.05

12月5日(水曜日)、大河ドラマ「西郷どん」に西郷吉之助の少年時代・小吉役で出演した渡邉蒼さんにご来館いただきました!

 

 

 

 




大河ドラマ館スタッフが描いたウェルカムボードでお出迎え!

 

 

 

 




自身が「cangoxina」と刻んだ石(月替わり展示)と共に記念撮影!

 

 

 

 




衣装を試着しての記念撮影!小吉が目の前に!!感動!!

 

 

 

 




パネルにサインもいただきました。

 

 

 

 




野ざらしの牢での記念撮影!

 

 

 

 




最後は、眉毛を付けての記念撮影!笑顔が爽やか!

渡邉蒼さん、ありがとうございました!!

 

田上晃吉さんご来館(12月3日)

  • 大河ドラマ館
  • 2018.12.04

12月2日開催した西郷王決定戦&パブリックビューイングにご登場いただいた田上晃吉さんが、翌日3日にドラマ館にお越しくださいました。館内では来館記念サインのほか、来場者から声をかけられ会話を楽しんでいらっしゃいました!晃吉さあ〜あいがとさげもした!

 

 

 

 

 

 

西郷どんがお出迎え

 

 

 

 

 

 

スタッフ制作のウェルカムボードの前で記念撮影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回3回目の訪問。新たに設置した「明治編」の人物相関図パネルにサインをしていただきました。

ぜひご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご自身が出演された45話のあのシーンを再現。

 

 

新政府の始動と西郷・大久保

  • 明治維新と薩摩藩
  • 2018.11.28

(文:鹿児島市維新ふるさと館 特別顧問 福田賢治氏)

○ 新しい国家の体制づくり
 王政復古を声高に発した朝廷、および薩長土肥を中心とする新政府の要人たちは、まだ戊辰戦争の完全な終結をみないうちに、新国家の体制づくりに取りかからねばならなかった。その中心は三条実美、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允らであった。
 西郷はこの時期、専ら戊辰戦争終結に力を注いでいたが、会津、長岡、庄内と東北の雄藩が降服したことを受けて、東京に帰ってきた。東京では薩摩藩主の島津忠義が、あらたに新政府の軍務総督として任命され、天皇から佩刀も賜っていた。これを知った西郷は忠義に軍務総督を辞退させ、佩刀も返上させて忠義と共に鹿児島へ帰国、自らも中央政界から身を引いたのである。
 西郷は、当時、新政府の要人や軍事担当者など広範に亘り薩摩が主導していたが故に、世間では、「幕府は瓦解したが、今度は薩摩政府が誕生するのではないか」との風評があった。その疑念を払拭するとともに、新政府始動にあたっては、民衆を含めた新しい近代国家建設の出発点としたかったのである。
 西郷は以後、明治4年1月に上京するまで、政府の再三にわたる中央政界復帰要請にも関わらず、鹿児島に留まったのである。国が一つにまとまり、近代国家建設という「順聖院様(斉彬)の御深意」を達成し、これで「自分の使命は終わった」との思いがあったのであろう。 

○ 新政府の課題と中央政界への西郷呼び戻し
 しかし、政府の要人たちが西郷を野に置いておくはずもなく、旧来の主従関係に基づく地方政治から「中央集権国家」へと変貌するには、西郷は欠かせない重要な人物であった。新国家の体制づくりには、土地や人民を朝廷に還す「版籍奉還」、旧藩主や門閥派の影響力を排除するための「廃藩置県」、国家財政の安定化のための「地租改正」、国の防衛・治安維持のための「徴兵制度」や「警察制度」、国民の文化・教育向上のための「学校制度」、それに「産業の育成」と課題が山積していた。なかでも、最も重要な課題が「廃藩置県」であり、これを断行すれば、また全国的に大騒乱が起こると予想された。事実、明治4年7月の廃藩置県の実施については、政府部内でも激論が展開されたのである。
 こうした事態が予想されたため、明治3年1月大久保利通は、中央政界に西郷を引き戻すため鹿児島に帰国、久光と西郷の上京を掛け合ったが、久光は同意しなかった。西郷は日当山温泉で療養していたが、島津忠義がわざわざ日当山まで西郷を訪ね、「鹿児島の改革に力を貸して欲しい」と要請したため、鹿児島の藩政改革にかかわっていた。それ故、久光と西郷を中央政界に引き戻すには、どうしても久光の同意が必要だったのである。  

○ 大久保利通と久光の決別
 西郷本人も中央政界復帰の意思はなく、本人説得のために従弟の大山巌や弟の西郷従道も帰郷し説得に当たった。久光は新政府の欧化政策に不満を持っていたという。そのため大久保たちの説得工作は困難を極め、明治3年1月に帰国以来、9回にわたり久光と面会し激論を交わしたが失敗し上京へ戻ったが、久光説得には勅使を派遣する以外にないとして、再びその年の12月18日、岩倉具視を勅使とし、西郷と親しい山県有朋(長州)、川村純義(西郷従兄弟)を伴い鹿児島へ来た。勅使が来たとあっては久光も拒否できず、自分は病気のため来春上京すると返事、西郷の上京を許可した。こうして西郷引き出し問題は、約1年を要してやっと実現した。しかし、それまで主従関係で固く結ばれ、安政6年(1860年)から10年間続いた久光と大久保の信頼関係も、この件をきっかけに完全に瓦解し、以後、大久保の心は久光から完全に離れていったのである。

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