幕末の思想「開国と攘夷」

  • 明治維新と薩摩藩
  • 2013.12.01

  • 多くの教訓を得た「薩英戦争」
    薩英戦争記念碑
    (祇園之洲公園内)
  • 多くの教訓を得た「薩英戦争」

    薩英戦争に使用された80ポンド(36㎏)
    の主力砲(薩藩海軍史)

1.開国に反対した理由とは

幕末にペリーが来航して以来、「攘夷か、開国か」の議論が全国に広がり国論を二分した。当時、開国に反対した理由の第一は、開国による貿易の利は、幕府の独占的利益となったからである。第二に、国内の物資が外国に流れ、国内の物価上昇を招いたからである。第三は、当時、国内における金と銀の交換比率は1対5であったが、外国では1対15であり、日本において銀貨5枚で得た金を上海などで交換すると銀貨15枚となり、およそ3倍の儲けとなったのである。この結果、日本の金が外国に流れ、国内の物価上昇の原因ともなった。しかし、最も大きな理由は、当時の孝明天皇が「攘夷思想」の持ち主であったからである。それ故、「尊王」を唱えれば唱えるほど「攘夷」も強調され、幕末、勤王の志士たちによって「尊王攘夷」が一層強く叫ばれるようになったのである。

2.薩英戦争で攘夷の不可能を悟った薩摩

琉球貿易や密貿易をしていた薩摩の本音は「開国」であった。また、「挙藩一致、どこまでも御所を守れ」という島津斉彬の遺言もあり、「尊王」は強く唱えても、「攘夷」と正面きって唱えることには抵抗があった。実際「薩英戦争」を経験したことによって、薩摩では下級武士にいたるまで攘夷の不可能を知ったのである。中央政界で薩摩と主導権争いをしていた長州藩は、こうした薩摩の事情を察知し、「尊王攘夷」を唱えることによって薩摩を牽制したともいわれる。

3.「攘夷思想」の起こりは「中華思想」

「攘夷思想」は、もともと中国の儒教思想からでたもので、中国の「中華思想」に始まるといわれる。つまり、中国に古代文明が発達したことから、中国こそはすべての文明文化の中心であり、その他の国々は「夷狄(いてき)」、つまり野蛮な国であるとする「中華思想」の考えから生まれたもので、これが儒教思想の中に根付き、儒学とともに日本に入ってきたといわれている。古来、中国は広い国土を抱えその中央地域は豊かであるが、周辺地域、特に北方や西方は山岳地帯や寒冷地、砂漠地帯など厳しい環境におかれた地域が多い。加えて、世界で最も多くの異民族をかかえた多民族国家なのである。そのため、周辺地域の民族は、常に豊かな中央部に進出しようと企て、民族間の争いが絶えず、過去において様々な民族が王朝建国の争いをしてきた歴史を持つ。王朝が変わるごとに、その保持のため、外部からの侵入者を「夷狄」として排斥する思想が「攘夷思想」といわれるものである。

4.官学とした「儒学思想」で滅んだ幕府

幕末、攘夷思想をもった勤王の志士といわれる人々の多くは、攘夷を説く水戸藩の藤田東湖や戸田忠太夫など「水戸学」といわれる人からで学んだか、またはその流れを汲む人たちである。「儒学」、中でも「朱子学」は、江戸時代に幕府の官学として栄えたものであるが、その儒学から生れた「攘夷思想」が、幕末には倒幕運動の中心思想になったというのは、まことに皮肉なものである。

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