「難儀は越後」の北越戦争は大激戦地

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  • 2018.07.01

西郷隆盛や黒田清隆も戦地に赴いた北越戦争。新政府軍と対立した長岡藩は、「武装中立論」を唱えて会津藩とも当初は行動を共にしていなかった。この論を唱えたのは筆頭家老であった河井継之助で、江戸藩邸を引き払う際に藩主の牧野家が所有する家宝などを売却。それを資金にして最新鋭の武器である「ガトリング砲」を2門購入するなどして武装体制を整えていた。慶応4(1868)年5月2日、小千谷の慈眼寺で新政府軍の軍監である岩村精一郎と河井継之助が談判。しかし、交渉は決裂して長岡藩と新政府軍との戦闘が開始されることになる。

こうして長岡藩は、ようやく会津藩らと同盟を組むことになり、北越全体を巻き込む全面戦争に突入する。この激戦の現場には、西郷隆盛の弟である吉二郎もいた、鳥羽伏見の戦いに病気で参戦できなかった悔しさを抱えながら戦場へ赴いていたのだ。

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